のほほーんと、ハバを利かせていた私たちにとっては
あっと驚くべき
高校生活の初日、1年の4月新学期より外部から入ってきた
強敵の存在となった。
と言うのも
彼女らの出身は、現在NHKの連続テレビ小説の舞台となる
岸和田
つまり、コシノ3姉妹とそのお母様で、
ドラマのヒロイン・イトコのモデルとなっている偉大なデザイナー
小篠綾子さんの出身地♪
もちろん!
『だんじり祭り』
で日本中から毎年注目を浴びる地域でもあります!
この、岸和田
と言う地域は、決して大都市ではありません。
なのに
だんじりをこよなく愛す、地域のために命を捧げている人の住む町
であることは間違いなく
その気迫は半端じゃなくて!
『だんじり祭り』
が近づくと、彼女らは学校を休み始める。集団で堂々と!
『昨日なんで休んだん?』と何も知らない頃の私が聞くと
『そんなん、だんじりの練習があるからに決まっっちょるやろ!』
と、マジで睨まれる。集団で・・・コワ!
大阪弁でもなく、関西弁でもない
彼らが話すのは
『岸和田弁』という誇り高い方言なのです!
気になる方はぜひ、『カーネーション』の出演者の皆様の方言をチェックしてみてください!
私たち大阪弁、俗にいう吉本芸人の使う言葉とは、またちょっと違うのです♪
前置き長くなりましたが!
私は、当時高校1年生の時の親友(彼女も岸和田出身だった)と些細なことで喧嘩になり
しばらく口をきいていなかったのだが
いつの間にか騒ぎが大きくなっており、私が言ってない発言を
私が言ったと『おなか』から聞いたんやけど!
と、ある日の夜親友から電話があり
私の中で、何かが弾けて(俗にいう、キレる!?)
翌日、コワい奴とは百も承知で
喧嘩を売りに行った!(って、同じクラスだから距離はそんなにない)
そしたら、向こうもめちゃくちゃ恐い顔になって(想定外の)
私たちは本気の言い合いになった(暴力は、なかった。:って女子同士だから当たり前?いえいえ
私の中ではそれは、想定内だったような気がする)
私はついには、感極まって大泣きしながら
必死に誤解を解こうとして・・・
そしたら、岸和田女子軍団のボスが
違うクラスからやってきて仲裁を始めてくれて
私が初めから誠心誠意で泣きじゃくりながらボスに訴えると
ボスは真剣に私の言い分も聞いてくれた。(って、なんでいつの間にか法廷みたくなってるの!?)
ボスは『おなか』に向かって、色々と私寄りで話してくれた。
結果は・・・私と親友の仲は元に戻って
『おなか』が途中で私の気持ちを勘違いしたことが判明!
ボスのおかげで、ボスともそれ以来めちゃ仲良しになった。
おなか ともそれ以来
何でも本音で話し合える、互いにクラスのまとめ役として仲良くなれた。
今思い出しても
めったに近づいたことのない、あの岸和田女子軍団に
ああいう機会がなかったら
私たち大阪市内出身者は、、まっこうから何かもめ事を振るなんてことは
絶対にありえなかったと思う。
だって!本当に近づきがたい雰囲気が、彼女らにはあったから・・・
セーラー服の女子が集団で、強面で常に固まっているだなんて
それってまるで、服装ちゃうけどレディースやん!?(汗)
でもね、わかったの。
岸和田市民は、情に熱い。ひとを大切に思いやる。
岸和田市民同志の出来事は、我が事(じぶんのこと)以上に首を突っ込み
家族同様に真剣に考えて友情を、絆を深めている。
今、『絆』と言う言葉がクローズアップされているけど
私は彼女たちに、真の意味での『絆』というそこはかとない力を
教えてもらったような気がする。
岸和田に生まれ育った人は凄く良い親になると思う。
今思い出しても、涙が止まらない衝撃の出来事だった。
私は思う。
人と人とは、時にはぶつかり合って本音で話し合うからこそ
より強い人間関係を気づけるのではないかと・・・
こんなことをまた、沖縄で私が発言すると
問題ありなのかもしれないけれど
切磋琢磨する
自分を洗いざらい相手に見せる
と言う事も、時には大切なことだと
私は身を持って確信した。15歳の時に・・・
あの出来事のおかげで
32年ぶりに会っても私たちは
手に手を取って、互いの成長を喜び合えた。
そして、シングルマザーと言う共通点もまた、互いの境遇を支え合えた。
年月なんて
私の中ではあまり関係ない。その瞬間を必死で生きてきたからこそ
年月を経ても分かり合える人が世の中にまだ、いるのだと思う。
人の生き方は様々だけれど
やっぱり私は直球をこれからも、投げ続けていくような気がする。
それが一番、私らしいから・・・
ボスに会えなかったのが先日の同窓会でも、非常に残念だった。
今年は、私が企画して
また、女子校時代の仲間で集まりたいと思っている。
友情に賞味期限はないのだから・・・
岸和田、万歳!
カーネーション万歳!
小篠綾子先生、ありがとう♪
岸和田は、永遠に不滅です★★★