私がフィギアスケートに拘る本当の理由★謝罪・告白・回想・・・
織田信長の末裔である
織田信成君
一昨日、全日本フィギア大会にて
復活劇と共に優勝してくれた
私が男子フィギアの試合に
常に注目し、応援し続けるのには訳がある。
それは・・・↑この
スケート靴
我が愛する息子が、最後に履いていた
思い出のフィギアスケート靴です
あまりにも愛しくて、フィギアスケート選手で
息子のコーチでもあった親友からのプレゼント
ウルトラマンのシューズケース共々、大切に実家にしまってあるのです。
もしも、あの日あの時、私さえきちんとしていたら・・・
今もなお、息子に私は、負い目を背負っていることが一つある。
かつて息子は・・・
『リレハンメル』冬のオリンピック
開催中、フィギアスケートをテレビで見て
突然私に宣言したのだった
『マーミィ(mammy)、あのねぇ
これ、
オレもやるよ~』
『あらそう?やりたいのならやるか~』
翌日、私たちは自宅から一番近所にある
高田馬場の『シチズン』というスケートリンクに向かい、
その日から、記念すべき彼のスケート生活が始まったのである。
当時彼は5歳。
スケートを始めるには、
ちょうど良い年頃だったのかもしれない
なにより、スケートの世界から引退していた
宝塚の受験仲間であった親友が
始めるに当たっていろいろアドバイスをくれて
おまけに息子がきっかけで、コーチとして
復帰することになったのも嬉しかった
なにせ、オリンピック強化選手として
あの渡部絵美と共に活躍しており
息子がスケートを始めると初めて報告したときは
心から喜んで、応援してくれた
このままでいくと
将来の佐野稔や五十嵐文男になれると
身内のように支援してくれていた
夏にはスケート合宿に連れて行ってくれたり
厳しく優しく常にプロ意識で指導してくれていた
そんな中、私が東京での「たてまえ」での生活に耐え切れず
CAの契約終了と同時に大阪実家に戻ることになり
息子は、大阪で再び、スケート生活がスタートした。
大阪で出会ったスケートのコーチは
『
いしだあゆみ』さんのお姉さまで岡本コーチ
なかにし礼さんの書いた小説でNHK朝の連続テレビ小説
【てるてる家族】にも出てきた有名な4姉妹のお一人だった・・・
そんな、とっても素敵なフィギアの先生との出会いで
息子の前途は洋々だった
このままでいけば、末はジュニアチャンピオンやオリンピックだって
夢じゃない絶対に大丈夫と、太鼓判をもらっていた息子・・・
私もすっかりその気になって、毎日のように、なんばのスケートリンクに通っていた。
30分間で7-8000円の個人レッスンも
将来選手になることを思えば
親としては何とかしてやりたくて
私自身の仕事の励みにもなっていた
あんなにがんばっていた息子だったのに・・・
私のせいで、息子はスケートの世界から
少しづつ離れていかざるを得なかった
今思い出しても、情けなくなる・・・
当時私は、恋愛をしていた。
いまさら、だが・・・このことだけはどうしても息子に詫びたいと
およそ10年の間、封印してきた。
小塚選手は今、息子と同い年だ。
彼の最近の目まぐるしい活躍ぶりを見ていると・・・
もしも私が息子のためだけに
全ての時間をスケートに費やしていられたら
もしかしたら、あそこの舞台に立っていたのは
息子だったのかもしれない。
最近、そんなことばかりを考えるたび
胸が締め付けられるほど苦しくなるときがあるのだ。
あの子なら、きっとやってくれていた。
なのに・・・自分可愛さに
息子を犠牲にしてしまったことが情けない。
今、懺悔の気持ちでいっぱいな私・・・
時はもう戻らない。
スケートに生き、スケート中心の生活をしている
ジュニアたちを目の当たりに見てきた。
息子にとって、何が最良の道だったのだろうか!?
答えはどこにあるのか?
泣くだけ泣いて、自己中の母は、リンクを見るたびいまだに・・・
あの日のままの、8歳の息子のスケートを踊る姿が
心に残って私の中に生き続けている・・・
ごめんね、本当にごめんなさい。
貴方のこれからの幸せを、心から願っています・・・
年の暮れに、こんな告白で・・・申し訳ない。
最後に・・・
織田選手や
高橋選手という
浅田真央ちゃんだけではない
大盛り上がりを見せてくれている
男子フィギア選手の皆さん
これからもずーっと、貴方たちを心から応援しています
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