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2011年04月05日
『謙虚な誇り』&『感謝の種』 美しい日本語に感動!
佐渡、ご存知ですか?
高校野球ファンならお分かりですよね♪
新潟県の、離島です。少し前の甲子園で石垣島から県代表になった
八重山商工高校が話題になったように
今年は佐渡島からも
佐渡高校が出場し、島民一丸となって盛り上がりました!
で、
この高校の大会スローガンは
『謙虚な誇り』
という言葉でした。
このスローガンを文字にして、キャプテンがナインたちと
高く掲げて笑ってピースしている
紹介VTRを見た瞬間
なにか、胸に熱いものが込み上げてきました。
自分たちの出来る限りの行動が
佐渡島の人々の心を突き動かしていました。
島民が一致団結して、この島始まって以来の快挙に
みんなが笑顔で、甲子園に出ることを誇りに
生活していらっしゃいました。
何かと不便のある離島での生活の中で勝ち取った栄誉!
なのに、佐渡高校球児たちは
自分たちのスローガンを『謙虚な誇り』と・・・
彼らの健闘ぶりは
佐渡島の皆様にとっても、
きっと一生忘れられない思い出になったことでしょう♪
私にとっても、非常に感慨深い標語となりました。
それから、最近見た報道特集ですが
阪神大震災から16年を経て
当時助けてくれた命の恩人と、奇跡の再会をした女性がいらっしゃいました。
『瓦礫の下敷きになった母を、当時若者だった男性が必死で引っ張り出して
私と一緒に病院まで母を運んでくれた。
残念ながら、母は無念にも医師の診断により死亡したが
あの時私一人じゃ何も出来なかった。だから、
ずっと彼のことを命の恩人だと思い感謝し続けてきた。
でも、当時【感謝の種】が心の中に芽生えていたにも関わらず
私自身、栄養が不足していて十分に発育できなかった。
あれ以来、彼の存在を忘れたことはない。
16年たった今だから、感謝の種は身も心もすくすくと成長して
実際に母の恩人とお会いして、当時の【感謝の種】が大きく花を開いた。
心から、ありがとうとお伝えしたい』と・・・
感動の上乗せは、彼女の幼い息子さんの手作りノート!
『ママのヒーロー』と表紙にひらがなで書かれ
「ママのヒーローは凄いんだ!ママのお母さんのことも助けてくれた。
ママはヒーローにいっぱいありがとうっていつも言ってる
ボクもヒーローのことが大好きだ」
などと、幼児らしいイラスト入りで、ひらがなで書かれていました。
<感謝の種>
息子さんにも広がっていたんですね・・・
40歳になっていた(当時24歳・建設会社の寮在住だった)の男性も、
『僕のことまだ覚えていてくれたなんて』
と
新聞記事がきっかけで16年ぶりの再会となり
感無量でインタビューに応じていました。
【謙虚な誇り】と【感謝の種】は
私の中で大きな感動となり、
この2つの言葉は当分、頭から離れそうにありません・・・
日本の言葉=日本語って素敵ですね。
【がんばろう、日本】という横断幕が
高校野球の閉会式でアップされたときも
涙が自然に頬を伝いました。
『玲子に優しい言葉をかけてもらえると気持ちがほっとする』
と
最近弱気な母に言われるのも嬉しいですが
『胸にぐっと来る文字』もまた
人には必要なのかも知れません・・・
以上、最近私が感動した日本語のお話でした★
という言葉でした。
このスローガンを文字にして、キャプテンがナインたちと
高く掲げて笑ってピースしている
紹介VTRを見た瞬間
なにか、胸に熱いものが込み上げてきました。
自分たちの出来る限りの行動が
佐渡島の人々の心を突き動かしていました。
島民が一致団結して、この島始まって以来の快挙に
みんなが笑顔で、甲子園に出ることを誇りに
生活していらっしゃいました。
何かと不便のある離島での生活の中で勝ち取った栄誉!
なのに、佐渡高校球児たちは
自分たちのスローガンを『謙虚な誇り』と・・・
彼らの健闘ぶりは
佐渡島の皆様にとっても、
きっと一生忘れられない思い出になったことでしょう♪
私にとっても、非常に感慨深い標語となりました。
それから、最近見た報道特集ですが
阪神大震災から16年を経て
当時助けてくれた命の恩人と、奇跡の再会をした女性がいらっしゃいました。
『瓦礫の下敷きになった母を、当時若者だった男性が必死で引っ張り出して
私と一緒に病院まで母を運んでくれた。
残念ながら、母は無念にも医師の診断により死亡したが
あの時私一人じゃ何も出来なかった。だから、
ずっと彼のことを命の恩人だと思い感謝し続けてきた。
でも、当時【感謝の種】が心の中に芽生えていたにも関わらず
私自身、栄養が不足していて十分に発育できなかった。
あれ以来、彼の存在を忘れたことはない。
16年たった今だから、感謝の種は身も心もすくすくと成長して
実際に母の恩人とお会いして、当時の【感謝の種】が大きく花を開いた。
心から、ありがとうとお伝えしたい』と・・・
感動の上乗せは、彼女の幼い息子さんの手作りノート!
『ママのヒーロー』と表紙にひらがなで書かれ
「ママのヒーローは凄いんだ!ママのお母さんのことも助けてくれた。
ママはヒーローにいっぱいありがとうっていつも言ってる
ボクもヒーローのことが大好きだ」
などと、幼児らしいイラスト入りで、ひらがなで書かれていました。
<感謝の種>
息子さんにも広がっていたんですね・・・
40歳になっていた(当時24歳・建設会社の寮在住だった)の男性も、
『僕のことまだ覚えていてくれたなんて』
と
新聞記事がきっかけで16年ぶりの再会となり
感無量でインタビューに応じていました。
【謙虚な誇り】と【感謝の種】は
私の中で大きな感動となり、
この2つの言葉は当分、頭から離れそうにありません・・・
日本の言葉=日本語って素敵ですね。
【がんばろう、日本】という横断幕が
高校野球の閉会式でアップされたときも
涙が自然に頬を伝いました。
『玲子に優しい言葉をかけてもらえると気持ちがほっとする』
と
最近弱気な母に言われるのも嬉しいですが
『胸にぐっと来る文字』もまた
人には必要なのかも知れません・・・
以上、最近私が感動した日本語のお話でした★
Posted by サファイア玲子こと高木玲子 at 16:57│Comments(0)
│感動した!(小泉首相風)
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